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雑学の森

 ∞ 雑学の森 ∞

雑学の森へようこそ!

世の中を有用・無用とか、損・得のように二つに割り切った見方では、世に棲む人々は息苦しくて仕方がない。有用と無用、損と得の間には、やたらと広い灰色の遊びの世界があり、そこには雑学の森が繁っている

ギャラリー

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雑学の森

雑学を英語で何と言うのだろうと、ヤフーの翻訳にかけたら長い英語になったので省略。興味のある方はヤフーで調べてみてください。

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蝶々(てふてふ)

沖縄の蝶々ハウスで見た「大ごまだら」のちょうちょ。ハウスの中を多くの蝶々が飛び舞っていました。

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楓(かえで)

「かえで」の語源は、「蛙手(かえるて)」から来たという。楓は紅葉と書くと「もみじ」と読みます。

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盛りの花

夏の盛りの公園の夕方に、画素の粗いガラパゴス携帯のカメラで撮りました。花は盛りでした。

∞ 雑学の森 ∞ お知らせ


 1 (風土記の)浦島太郎と昴星(すばる)  2  冬虫夏草(とうちゅう かそう/ふゆむし なつくさ)
 3 【ペリー来航】凄みのあるペリーの脅し  4  マッカーサーの証言
 5 ウラジオストクと征露丸   6 天然独(てんねんどく) 
7 指桑罵槐(しそう ばかい)  8  指桑罵槐(そのA)日本・謝罪外交の始まり
 9 古事記(冒頭部)の紹介  10  日本書紀(冒頭部)の紹介
 11 中国の電磁カタパルト開発と原子力空母 12  温州みかんとアメリカ合衆国
 13  東日本大震災見舞いに受刑者が義援金    



(風土記の)浦島太郎と昴星(すばる)

*昴(すばる)は、またの名前を「むつら星(六連星)」という。

○星座の スバルという言葉は何となく外来語と思っていたが、古来からある日本語だ
 と知りびっくり。
 奈良時代の丹後風土記(たんご・ふどき)に載っている浦島太郎の物語には、次のように「昴星(すばる)」の言葉が出て来る。

 なお、私たちが知っている浦島太郎の物語は室町時代のお伽草紙にある物語で、それより前の時代には「浦島子(浦嶼子)」となっている。
            *嶼子(しまこ)。嶼の字は、島嶼(とうしょ)の嶼で、小島の意。
      《 (すなは)ち、女娘(おとめ)()(きた)りしときに、嶼子(しまこ)堅子等(わらはら)が事を語りき。女娘の()ひしく、『其の(なな)たりの堅子(わらは)昴星(すばる)なり。其の()たりの堅子は畢星(あめふり)なり。君、な(あやし)みそ』といひて、即ち前立(さきた)ちて引導(みちび)き、内に進み入りき。》
 *昴星(すばる)・・・・牡牛座にある散開星団。肉眼で見えるのは六個なので、六連星
           (むつらぼし)ともいう。ここでは七個。
 *畢星(あめふり)・・二十八宿の一つの星の名。八個並んで見える。
〔現代語訳〕
さて、乙女がこちらに出てきたときに、嶼子は童子らの事を語った。乙女は「その七人の童子はスバル星です。その八人の童子はアメフリ星です。あなた、不審に思わないで下さい」といって、そのまま先に立って男を導き、家の中へ進み入った。 
 
TOP     出典:『浦島子:逸文「丹後風土記」』(鑑賞日本古典文学『日本書紀・風土記』角川出版)  



 冬虫夏草(とうちゅう かそう/ふゆむし なつくさ)
 *
面白い名前の「冬虫夏草」とは、漢方薬の生薬のこと

      〇チベットや青海省、四川省、雲南省などの高原に生息する蛾の幼虫に寄生する、キノコの一
 種。中国では古くから薬草として珍重されてきた。
〇チベットでは、このキノコの菌が冬は虫の姿で過ごし、夏になると草になると考えたことか
 ら、中国語訳で「冬虫夏草」と名付けられた。 
 
TOP       (参考出典)フリー百科事典 ウィキペディア  


 【ペリー来航】
 
凄みのあるペリーの脅し

 ○ペリーが2回目に来航した時に発した脅し文句

1854年(嘉永7年)2月13日、ペリー艦隊が江戸湾に入港し武蔵国金沢沖に投錨すると、翌日、浦賀奉行支配組頭黒川嘉兵衛が来艦し、参謀長アダムズ中佐を通じて交渉地を浦賀とすることを提案した。
アメリカ側は江戸に接近した地点を主張して譲らず、議論はまとまらなかった。
 

 これを聞きつけたペリーは、いきなり腹を立てた振りをして次の様に言ったという。
    《「もしも要求が通らなければ、いつでも戦闘を始める用意がある。いざ戦争となれば、我が方に
 は常に近海に五〇隻の艦隊がいる。またカリフォルニアにもさらに五〇隻がいるから、命令一下
  二〇日間以内で、たちどころに百隻の艦隊を集めてみせるといえ」と、いったということであ
 る。》 

 「嘘もこれぐらいいえれば、初めて一人前ということかもしれない。これを今日の言葉でいいか
  えれば、さしずめ最新鋭の巡航ミサイルを一発お見舞いするゾという程度の、凄味(すごみ)
  をきかせた脅しだろう」と著者は評している。  
 
TOP    出典:曽村保信『ペリーはなぜ日本に来たか』(新潮選書)  


 マッカーサーの証言
 *日本は安全保障(セキュリティ)のために戦った、と証言した。
      ○連合国軍最高司令官だったマッカーサー元帥は、1951年(昭和26年)5月3日の米国
 上院軍事・外交合同委員会において次のように証言した。

《 われわれは日本を包囲しました。日本は8千万人という膨大な人口を抱え、4つ島にひし
 めいていました。その半分が農業人口で、半分が工業生産に従事していました。日本の擁す
 る労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接していたいずれにも劣らぬ優秀なものです。
 
 
日本の労働者は、人間は怠けているときよりも、働き、生産しているときの方が幸福なのだ
 ということ、つまり労働の尊厳を持っていました。これほど巨大な労働力を持っているとい
 うことは、彼らには何か働く材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、
 労働力を有していました。しかし、彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでし
 た。日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もないのです。綿がない、羊毛がない
 、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、その他実に多くの原料が欠如している。

 そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供
 給を断ち切られたら、日本では1千万から1200万人の失業者が発生し、亡国と化するで
 あろうことを日本政府・軍部は恐れていました。したがって日本が戦争を始めた目的は、大
 部分が安全保障(セキュリティー)のためだったのです。 》
 
TOP      (出典)森靖喜「日本は自衛のため戦った…」産経WEST:2016年1月26日   

池田美智子著『対日経済封鎖』・・マッカーサーも同情した、苦労を重ねた昔の日本人

・・・1932年、米国ではボイコットと交易禁止を掲げた対日経済制裁運動が活発に展開されていた。1937年までに米国が対日貿易政策を強化してきた背景には、この運動が大きな影響を与えていたのではないだろうか。
 1940年に石油、武器及びその他の戦略物資の
対日輸出禁止を実施するよりはるか以前から、米国の差別的な対日貿易規制強化策が存在していたことは注目に値する。
 
米国大統領と議会とに陳情された当時の反日運動は、米国の大学関係者、産業人、ジャーナリスト、それに中国系の人々によって音頭をとられ、促進されたものであった。当時は米国内あるいは国際連盟の場で、中国は日本政府や海外居住の日本人よりも一般的に広く世界に訴える力を持っていたのである。



 ウラジオストクと征露丸
 *ウラジオストクは東方を征服するための根拠地。征露丸は露西亜を征伐するという意味の丸薬。
      ○ウラジオストク(ウラジオストック)とは「東方を征服せよ」という意味。
 したがってウラジオストクは、東方を征服・支配するために建設された軍事都市
○東方へ侵出を図るのを阻止するために生じたのが日露戦争。戦場へ赴く将兵に配付し、連日
 服用させたのが征露丸。征露とは露西亜(ロシア)を征伐するという意味。

・ウラジオストクのロシア語名は、ウラジ ヴォストークである。
 「ヴォストーク」は「東」を意味し、また「ウラジ−」は「領有・支配する、征服する・・」
  を意味している。

・この名称は「東方を征服・支配する町」を意味するが、その言葉の通りウラジオストクはロ
 シアの極東政策の拠点となる軍事・商業都市であった。

・上述の通りロシア語ではウラジ・ヴォストークなのだが、日本ではウラジオ・ストクと解さ
 れ、明治時代には浦塩斯徳(又は浦潮斯徳)と当て字された。
  *ドン・キホーテをドンキ・ホーテと誤読するがごとし。

 略称は「浦塩(浦潮)/ウラジオ」とされ、気象通報でも以前は「ウラジオ」と呼称されて
 いたが、現在は「ウラジオストク」と呼称されている。
 
TOP      (参考出典)フリー百科事典 ウィキペディア  



 天然独(てんねんどく)
 *
台湾の若者にみられる、「台湾はすでに自然に独立している国だ」という意識

      ○天然独とは、台湾の第3世代目の若者にみられる、「台湾はすでに自然に独立している国
 だ」という意識。
  2016年1月、台湾の中華民国総統選挙が実施され、民主進歩党の蔡英文が勝利したが、
 このとき「天然独」という言葉が使われた。
 

■事例
蔡英文の総統選勝利に苦虫、何もできない中国 (出典)JBP:2016年1月26日)
《「台湾が独立国であることを当然のこと」と受け止めてきた「天然独」である若者世代が馬英九の国民党政権に「ノー」を突きつけたことの意味は重い。》

木語 3代目の天然独立=金子秀敏 (出典)毎日新聞:2016年1月21日)
《・・・中台関係は改善したが、大陸の中国人を間近に見るようになると、若い台湾人の間には台湾を中国の領土と見て振る舞う中国人への反感が急速に広がり一昨年のヒマワリ学生運動につながった。外省人、本省人を問わず第3世代に台湾人意識が定着したのだ。

 最近、メディアで「天然独(てんねんどく)」という言葉が使われるようになった。台湾独立ではない。「台湾はすでに自然に独立している国だ」という意識だ。台湾の若者がネットに書き込んだのを台湾の政治学者、林泉忠(りんせんちゅう)氏が紹介して中国でも話題になった。この意識が台湾版3代目現象の核だ。・・・》

 
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 指桑罵槐(しそう ばかい)

写真*指桑罵槐とは、桑を指して槐(えんじゅ)を罵(ののし)ること。
しま
 ○槐(えんじゅ)とは、街路樹などに植えられる木であって、桑と槐は似ても似つかな
    い。つまり「指桑罵槐」とは、本当の攻撃対象とは全く別の違うものを指して攻撃する
    という意味で、「ニワトリを指して犬を罵る」と言っても意味は同じである。
       以下は、岡田英弘著『この厄介な国、中国』(WAC BUNKO)よりの要約である。

・中国人は、どんな時も表立って誰かを批判したり攻撃したりはしない。相手を直接批判することはなく「桑を指して槐を罵る」というやり方を採る。だから、もし中国人が面と向かって批判をしたときは、それに直ちに反応しないで、中国人が真に攻撃したい対象が別のところにあるのではないか、と考えるべきである。

■事例

・1982年6月26日、文部省が高校の世界史の教科書検定で中国・華北への「侵略」の表記を「進出」に書き換えさせた、と日本の新聞が大きく報じた。
 (後日、誤報と分かったが、誤報を認め謝罪したのは産経新聞だけ)。

・この誤報に対し、当初、中国当局はきわめて無関心だった。ところが1か月後に『人民日報』が「この教訓はしっかり覚えておくべきだ」と評論すると、中国の政府やマスコミが雪崩を打って反日強硬路線になった。
 (岡田英弘東京外大名誉教授は、この中国の急変ぶりを見て、「ああ、また“ 指桑罵槐 ”が始ま
  ったな」と思った、という)

 歴史教科書問題の火付け
・誤報から2か月ほど立ったころ、いよいよ主役が姿をあらわした。
 8月2日
付けの人民解放軍機関紙に、「今回の教科書問題で、日本の野望は明確になった。日本人は再び中国を侵略するつもりである」という論説が掲載された。その意図するところは「日本の再侵略に備えるために、人民解放軍を強化しろ」という事である。

・この当時、ケ小平は中国共産党内で最も強力な権力機構となった党中央軍事委員会を廃止し、国家軍事委員会に移管して軍の力を弱めようとするドラスチックな改革をやろうとしていた。

・この改革に危機感を抱いた人民解放軍の長老たちは、なんとかケ小平に揺さぶりをかけ、改革に歯止めを掛けたいと考えていたが、そんなときに起こったのが日本の教科書問題である。長老たちは、教科書問題がケ小平攻撃の格好の材料と気が付いた。

1982年は日中国交樹立10周年目にあたり、経済改革を志向する中国政府にとって新中国の日本は外交上きわめて重要な存在だった。

・そんなときに「日本はいまだに軍国主義であり、中国に対する再侵略を計画している」と言われて一番困るのは、経済改革を進めるケ小平である。

・結局、中国政府は人民解放軍に降伏する形となり、「党中央軍事委員会は廃止しない」ことが決定された。


・後日、中国の新華社通信が「進出」の意味を解説している。中国語では「進」は「入」と同じ意味で、「進出」という中国語もない。そのため「進出」という語を中国流にあえて読めば「出入」と思われてしまう。だから、この教科書問題について、一般の中国人には言葉の意味すら分からない。当然、なにが問題なのかも分からなかった。

 このことからも、歴史教科書教科書問題キャンペーンが中国人民の自発的な感情から生じたものではなく、一部の意志に基づいて仕組まれたものであることは一目瞭然なのである。
 
TOP      出典:岡田英弘著『この厄介な国、中国』(WAC BUNKO:2001年11月22日初版)  


  指桑罵槐(そのA)
 日本・謝罪外交の始まり

 
*「指桑罵槐による日本批判キャンペン」だと知らなかった日本政府は、中国が強い態度に出ればいく
   らでも謝るという「謝罪外交」の悪しき先例を創ってしまった。

       人民解放軍の長老による、上記の日本批判キャンペーンは見事な成功を収めた。ケ小平の党内発言力は弱まり、一方の人民解放軍長老の発言力は増した。
 人民解放軍の勝利が明白になると、中国メディアの日本批判は完全に消えうせた。明らかに中国にとって、この教科書問題とは権力闘争の手段だった。

・ところが、日本政府は中国のやり方の「指桑罵槐」が読めなかった。そして、中国が日本に対して本気で怒っていると思ったらしい。そして、あろうことか、当時の宮澤喜一官房長官は誤報であることを知っているにもかかわらず、中国に対して謝ってしまった。

しかも「今後の教科書検定は近隣諸国の感情に配慮する」などという馬鹿げた談話まで出してしまったのである。

 これは、中国、ことに軍長老たちにとっては思わぬ拾いものであったにちがいない。彼らとしては日本の対応など二の次であったのに、何と進んで日本の方から首を差し出してきたのだから、日本という国は、中国が強い態度に出ればいくらでも謝るという「発見」が、その後の日中関係を大きく変えたことは、あらためて言うまでもない。

・日本の謝罪外交は教科書問題から始まったとはよく指摘されることだが、その教科書問題とは、本来、中国国内の権力闘争でしかなかったのである。
 だから、日本政府は「これは内政問題である」と突っぱねていれば終わった話である。いまから振り返ってみても、何と愚かなことをしたものかと思わざるをえない。
TOP       出典:岡田英弘著『この厄介な国、中国』(WAC BUNKO:2001年11月22日初版)



  古事記と日本書紀(冒頭部)
 *平家物語と言えば「祇園精舎の鐘の声・・・」、方丈記と言えば「ゆく河の流れは絶えずして・・・・」とす
   ぐに冒頭の文章が口について出てきます。
   『古事記』と『日本書記』は日本最古の歴史書と知ってはいても、どんなことが書かれているのか知
   らないのが普通です。
    ここでは古事記と日本書紀の冒頭部(最初の出だし部分)だけを紹介します。
 

 
古事記(冒頭部)
 
*天地初発時(あめつちはじめて・・・)
 
 天地(あめつち)(はじ)めて(おこ)りし時に、高天(たかあま)の原に成りませる神の名は、天之御中主(あめのみなかぬし)の神。次に、高御産巣日(たかみむすひ)の神。次に、神産巣日(かむむすひ)の神。この三柱(みはしら)の神は、みな独神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまひき。

 次に、国(わか)く、浮ける(あぶら)のごとくして、くらげなすただよへる時に、葦牙(あしかび)のごとく()(あが)る物によりて成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅(うまし あしかび ひこじ)の神。次に、天之常立(あめの とこたち)の神。この二柱
        の神も、みな独神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまひき。


    
    (かみ)(くだり)五柱(いつはしら)の神は、別天(ことあま)つ神ぞ。

    高天の原(たかあまのはら)  高い、天の原の意。自然界の「天空」ではなく、天つ神の住む天上界  
    天之御中主(あめのみなかぬし)の神 天の中心にあって主宰する神 
    高御産巣日(たかみむすひ)の神 産巣日はムス(生成)+ヒ(霊力)で、生成の神格化
    神産巣日(かむむすひ)の神 神は神としての意。高御産巣日の神と共に根源的な生成のエネルギー
    宇摩志阿斯訶備比古遅の神
(うましあしかびひこぢ)
葦の芽のように生き生きとした生命力を表す神
    天之常立(あめのとこたち)の神 トコは生殖・誕生の場。「常」はその場のもつ恒久性を含意する 
      〔現代語訳〕
 天と地とが始まったときに、高天の原にお出来になった神の名は、天之御中主の神。次に、高御産巣日の神。次に神産巣日の神。この三柱の神は、みな独り神として身を隠されました。

 次に、地上世界がわかく、水に浮かんだ脂のようで、海月(くらげ)のようにふわふわと漂っていた時、葦が芽を吹くように萌えあがるものによってお出来になった神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅の神。次に、天之常立の神。この二柱の神も、みな独り神として身を隠されました。

 以上の五柱の神は、特別な(こと)(あま)つ神です。
TOP      出典(読み下し文):西宮一民校注著『古事記』(新潮日本古典集成:1993年12月05日)



  日本書紀(冒頭部)
 
*古天地(いにしえ、あめつち・・・)
 (いにしへ)天地(あめつち)(いま)(わか)れず、陰陽(めを)分れず、混沌(こんとん)にして鶏子(とりのこ)の如く、溟A(めいけい)にして(きざし)(ふふ)めり。其の清陽(せいよう)なる者は、薄靡(たなび)きて(あめ)に為り、重濁(じゅうだく)なる者は、淹滞(とどこほ)りて(つち)に為るに(いた)りて、精妙(せいめう)合搏(がふせん)すること易く、重濁の凝竭(ぎょうけつ)すること(かた)し。(かれ)天先(あめま)づ成りて(つち)(のち)に定まる。然して後に、神聖(しんせい)其の中に()れり。
      〔現代語訳〕
昔、天と地が分れず、陰の気と陽の気も分れず、混沌として未分化のさまはあたかも鶏の卵のようであり、ほの暗く見分けにくいけれども物事が生まれようとする兆候(ちょうこう)を含んでいた。その澄んで明るい気が薄くたなびいて天となり、重く濁った気は凝り固まるのが困難である。そのために、天がまずできあがり、地は遅れて定まるところとなった。かくして後に、神がその中に生まれた。
TOP     出典:校注・訳 小島憲之他『日本書紀@』(小学館 新編日本古典文学全集:1994年4月20日)


  

電磁カタパルト、原子力空母
中国の電磁カタパルト開発と原子力空母

*中国海軍の技術将校が、「中国の(電磁)カタパルト発艦技術には完全に問題がなく、
実践も順調・・・・」と述べた。


航空母艦から艦載のジェット戦闘機を発艦させるには、発艦に必要な長さの飛行甲板を確保できないため、スキージャンプの甲板の助けか、カタパルトの助けを借りることが必要である。
    旧ソ連の重航空巡洋艦「ワリャーグ」を改造した中国の空母「遼寧(りょうねい)」はスキージャンプと呼ばれる艦首のスロープを利用して、戦闘機が自らの推力で発艦する。
米国の原子力空母は、原子炉から十分な蒸気を得ることができるので蒸気カタパルトを利用して発艦する。カタパルト(射出機)とは、戦闘機を拘束して高速で移動し、戦闘機に発艦可能な速度を与える装置である。

戦闘機が搭載できる武器を多くするには、スキージャンプ型よりも米国空母の蒸気カタパルトの方が断然有利である。しかし蒸気カタパルトを作る能力のない中国が考えているのは、蒸気カタパルトではなく電磁カタパルトであり、その開発を推進している。これに関し、小原凡司氏は『世界を威嚇する 軍事大国・中国の正体』の中で、次のように記述している。

《 中国が電磁カタパルトの開発を行っていることは既に知られていたが、中国のインターネット上で、100メートルあまりの長さを持つ試験用電磁カタパルトの写真が公開された。

 電磁カタパルトは、原理的にはリニア・モーターカーと同様で、磁場の力で物体を移動させる。蒸気カタパルトのように蒸気用の複雑な配管が必要でない上、速度のコントロールができ、離陸滑走距離を短縮できる可能性もある。ただし、技術的には難しい課題も多いとされてきた。

 2015年3月には、中国海軍動力・電気工学専門家の馬偉明少将が、「中国のカタパルト発艦技術には完全に問題がなく、実践も順調に進められており、実用化への自信を深めている。中国が把握している技術はすでに米国に遅れておらず、より先進的なほどだ」と述べた。》

■電磁カタパルトが装備されると・・・
《 電磁カタパルトが装備されれば、中国空母艦載機の作戦半径と搭載弾薬量が大幅に拡大されることになる。現在は米国のみが保有する、半径1000キロメートル以上の空爆可能な作戦範囲をもって世界中の地域に展開する能力を、中国も保有する可能性があるのだ。》

■中国の国産空母2隻を建設中。原子力空母の建設計画
小原氏は、中国は《(2015年末)現在、少なくとも2隻の国産空母を建設中とされる。》とし、《そして、(1隻については)2015年末に、中国国防部が、初の国産空母を建造中であることを初めて認めた。
 中国で公表された通り、(空母の)建造期間が6年であるとすると、当該2隻は2020年頃には就役し、2025年に戦力化が考えられる。》と述べている。

《 国防部が建造中であると公表して以降、中国では、初の国産空母に(電磁)カタパルトは装備されないとする分析が一般的だ。しかし、中国は、これからも空母を建造し続ける。

 米海軍に対抗して軍事プレゼンスを示したい中国は、原子力推進の空母の保有も目指すだろう。武器や燃料を十分に搭載した艦載航空機を効率的に運用するためには、カタパルトが必要とされる。》とし、将来的に電磁カタパルトは原子力空母に装備される可能性を示唆し、
《 中国の空母建造は、これからも目が離せない 》と結んでいる。
  ※( )内の補足の文言および小見出しは、引用者。
 
TOP    小原凡司著『世界を威嚇する 軍事大国・中国の正体』徳間書店:2016年1月31日  


温州(うんしゅう)みかん
温州みかんとアメリカ合衆国

「JAおおいがわ」のサイトを開くと、《 全国で唯一米国に温州ミカンを輸出する「JA大
         井川対米輸出みかん管理組合
》とある。温州みかんの産地は和歌山県、愛媛県などがある
         のに、なぜ静岡県のJA大井川の組合だけが対米輸出をするのだろう。
     温州みかんは、カナダやアメリカではテレビを見ながら手軽に食べられることから「テレビオレンジ」と呼ばれ、親しまれている。アメリカ人も温州みかんは大好きだろう。にもかかわらず、和歌山県や愛媛県などからは、なぜ、アメリカ向けに輸出されないのだろうか?

■2014年の対米輸出量は、番外
温州みかんの国別の輸出数量をみると 
    2004年   1位 カナダ 4,523t  2位 米国 271t 3位 香港  70t 
     2014年  1位 カナダ 2,539t  2位 香港 270t  3位 台湾 222t
   *輸出数量の出典:「みかんの輸出(門司関税の2014年輸出数量及び金額)」
 
2004年には2位を占めていた対米輸出は、2014年には5位のタイ国の20t(シェア0.6%)にも及ばず、その他に含まれて番外となっている。

■園地は400mの緩衝地域に囲まれていること

アメリカが日本から輸入できる農産物品目の「温州みかん」の項を見ると、本州・四国・九州産の温州みかんは、アメリカ全土に輸入できることになっている。

ただし、アメリカは良く考えぬいた輸出条件を日本に課している。
日本での温州みかん生産園地の条件として、
 (1)柑橘(かんきつ)かいよう病の無病地区の指定
 (2)
無病地区周囲に400mの緩衝地区の設置
 (3)落下直後及び収穫期前の園地検査
 (4)米国検査官の招へいによる日米検査官の合同検査 等
アメリカのオレンジ生産地であるカリフォルニア州やアリゾナ州のような広大な園地なら、上記の条件(2)の「無病地区周囲に400メートルの緩衝地区」を設けることは難しくないだろうし、実際に指定しているのだろう。
しかし日本では、みかん畑に周囲400メートルもある緩衝地域を設けることは非常に困難である。全国で唯一米国に温州ミカンを輸出しているのが、JA大井川の組合のみと言うのは、この条件が大きく作用しているのだろうと推測される。

以上の論点から、アメリカの温州みかんの実質的輸入制限を批判しようとしていたら、次のような農林水産省による対米交渉結果の「朗報」があることを知り、以下を追記することにした。

■温州みかんの輸出検疫条件の緩和
農林水産省ホームページに「米国向け日本産温州みかんの輸出検疫条件の緩和について」(平成26年11月5日付)と題する記事がある。

それによると、「米国農務省と農林水産省が技術的な協議を重ねてきた結果、米国は、平成26年10月27日付け官報で、日本の要請を受け入れる形で本件(輸出条件)の規則改正を公表した。規則の施行は11月26日」とある。

その結果、日本の生産地の負担が大きかった上記の 4条件が削除され、収穫果実の表面殺菌、日本検査官の輸出検査等で輸出が可能になった。

■カウチ・テレビオレンジ
寝椅子(カウチ)にくつろいでポテトチップを齧(かじ)りながらテレビやビデオを楽しむ、カウチ・ポテトというお宅文化(?)がアメリカにはある。
温州みかんの輸出条件緩和により、いつの日か、アメリカでは温州みかんを食べながらテレビを楽しむカウチ・テレビオレンジのライフスタイルが隆盛することを期待したい。
 
TOP     出典:「みかんのお話!【オレンジなみかん】」(http://www.3kanorenge.com/mikan/story.html)   
      「JAトピックス3月7日対米輸出ミカン40周年 JAおおいがわ」                  


 江川紹子

東日本大震災見舞いに受刑者が義援金

 出典:江川紹子「3つの震災から見る大災害と刑務所(YAHOO! ニュース:2016年4月20日)

ジャーナリストの江川紹子氏は、「日本では災害時に刑務所で暴動や脱走が起きたという話は
まず聞かない。それどころか、まったく逆の現象が起きている」として、東日本大震災の時に
東京の府中刑務所で起こった現象を、当時、同刑務所の処遇部長だった手塚文哉氏から聞いた
        話として、次のように紹介している。
      ■1日3回鳴る非常ベルがゼロになった
府中刑務所は、3,000人近い受刑者を収容する、日本最大の刑務所で、犯罪傾向が進んだ再犯罪者を収容する施設。暴れたり、騒いだり、職員に反抗したり、様々な問題を起こす「処遇困難者」は少なくなく、一日平均3回は非常ベルが鳴る。暴れているため取り押さえられて保護室に入れられる受刑者も、毎日2人ほど。日本でも有数のハードな刑務所と言える。

その府中刑務所で、2011年3月11日に大地震が起こってから月末までの間、非常ベルが1回も鳴らなかった、という。

「一番困ったのは計画停電。彼らを真っ暗な中で過ごさせるのは危険ではないかと心配で、私を含めて職員が巡回したが、誰も騒がない。本当にびっくりするほど静かだった」(手塚さん)

■受刑者から義援金の申し出が・・・・
発生時には、多くの受刑者は工場で作業中だったが、すぐに居室に戻し、テレビを見ることを許可した。普段は、番組を録画したビデオだけだが、この時には災害報道を続けている。NHKの生番組を就寝時間まで見せた。その後も、しばらく災害報道は自由に見られるようにした。

「みんな、食い入るようにテレビを見ていた。日本でこんな大変なことが起きているのに、自分たちが騒いだりしちゃいけないという意識があったんでしょう」

作業が再開されるようになって、
受刑者の方から「ストーブはつけなくて大丈夫です」との申し出があった。被災地でガソリンや灯油が足りず、被災者が寒さに震えているのを見て、作業場で暖房をつけるのが申し訳ないということだった。そうして節約できた灯油は、計画停電で必要になった非常用発電機の燃料として使ったという。

やはり受刑者からの申し出で、義援金の募集も行った。全国で同じような動きがあったらしい。法務省によれば、
その年の6月11日までに、8,235人の被収容者から合計6,169万5,895円もの義援金が集まった。一人平均7,500円になる計算だ

 
 TOP    出典:江川紹子「3つの震災から見る大災害と刑務所(YAHOO! ニュース:2016年4月20日)  






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